『道聞かれ顔』日本代表
先日ネットで「道を尋ねられやすい人。」という記事があり比較的長い内容だったのですが全て読みました。
またこの世には「道聞かれ顔」なるものが存在するのだと。
ここでこのワードを見てそれはどんな顔なのかと思われる方もいらっしゃるでしょう。
私が関心を寄せた理由。それはズバリ私の顔がそうだからです笑。
間違ってもここで顔写真を挙げることなどは致しませんが、実際目の当たりにしていただくと納得されるかもしれません。(読者の中に友人がいるのでこれを読んで今ごろケラケラ笑っているに違いありません)
思い返せば高校の時くらいから良く道を尋ねられるようになりました。
それ以来というもの現在に至るまで。
強烈な記憶が二つ残っています。
一つ目は20年以上前に当時勤めていた会社から伊勢神宮に行ったときのことです。
社員20数名で内宮のところで集まっているとご婦人二人が私目がけて歩み寄られ「〇〇まではどう行けばいいですか?」と尋ねられたのです。
たくさん人のいるところでナゼ私なのか?
しかも地元民にしかわからない質問内容です。「すみません。この辺の者ではありませんので…。」
お伊勢詣りにまで来て、この局面遭遇に私のそばにいた数人も笑うしかありませんでした。
また昨秋観光案内で伏見稲荷のお守りを授かる前で待っていると若い男性から
「今日御朱印帳忘れたんですがどうしたら…」
「わ、わかりません。コチラで聞かれたらどうですか。」
私のどこをどう見て尋ねられたのか。お守りを授けそうな神々しい人に映ったのか…
しかもほんの数メーターのところに明らか関係者の恰好をした男性がいるではありませんか笑
記事には
①感じが良さそう。
②地元に詳しそう。
③親切に教えてくれそう。
等々が記されています。
裏を返せば無視はしなさそう、害はなさそうとなるようです。
確かに私が尋ねようとするときも人を選びます。
あまり時間はかけたくはないので瞬時に雰囲気を見て決めるということになります。
家族も昔からこのことを知っていますので
「単純に優しそうで何でも答えてもらえそうやからとちゃう(違う)?」と。
これはまだ良いときの言い方で、悪いときは「スキがあるからやろな。」などと申します(^^;
自分では(まあ優しそうでモノを知ってそうやと思われるならええか)と捉えています。
考えてみれば人の雰囲気と言うのは年齢を重ねてもそうそう変わるものでは無いのかもしれません。
とことん良いように言うと「人を引き寄せるオーラ説」もあるようです。
私が学生のとき飲食店バイト初日に有り得ないくらいお客様が押し寄せ、店の人全員が「君は何者❓」という経験から、ある程度リンクしてるんだろうと思います。(もちろんずっと忙しくはありませんでしたが笑)
携帯で見れるナビの普及により聞かれる事は格段に減りましたが、高齢化社会は着実に進んでいってるので、これからも「歩くナビゲーター」として貢献していきたいと考えております。
掛見